【お金#2】生活レバレッジ

「レバレッジ(Leverage)」とは「てこの原理」という意味で、主にビジネスや金融で使われる用語だ。

ビジネスにおいては「少ない資金でたくさんの利益を出す仕組み」であったり、金融においては「少ない手元資金で多くの借入をして、多額の投資をする手法」のことを指す。

いわゆる「てこの原理」のように、「少ない力で大きな力を生み出す」というニュアンスだ。

 

それに基づいて、「生活レバレッジ」という概念を、自分の造語として考えてみた。

その定義はこんな感じだ。

生活レバレッジ … 本来は生活主体者ができる生活に必要な作業を、あえて対価を払って機械や他人に外注することで、生活主体者は別の仕事に従事し、より多くの金銭を獲得すること。

つまり、「家事をどれだけ機械や他人に外注しているか」ということだ。

生活レバレッジの例

例えば、以下のようなやり方が、生活レバレッジをかけている例になる。

例①

自分でほうきで掃除をすると、10分かかるが0円である。(ほうきは安いので省略)

週2回掃除すると、10年間で172時間になる。

 

その作業をなくすために、ルンバを購入すると、電気代も含めて一時的にマイナス10万円になる。

しかし、時間は172時間浮くので、その時間で別の仕事をして17万円を稼ぐ。

すると、(収益)17万円-(費用)10万円=(利益)7万円と、プラス7万円が手元に残る。

自分で掃除した場合に比べて、7万円金銭が増えたことになる。

例②

自分で料理すると、1食あたり30分かかるが200円である。(マイナス200円)

 

その作業をなくすために、外食をすると1,000円かかる。(マイナス1,000円)

しかし、時間は30分浮くので、その時間で残業して2,000円を稼ぐ。

すると、(収益)2,000円-(費用)1,000円=(利益)1,000円と、プラス1,000円が手元に残る。

自炊した場合(マイナス200円)に比べて、1,200円金銭が増えたことになる。

このようにして、「あえて少額のコストを払って家事を外注することで、自分は浮いた時間で働いて、より多くのお金を稼ぐ」というのが、生活レバレッジだ。

これはある意味、ただの家庭の話しでありながら、とても経営者的・投資家的な行為を行っているといえる。

生活レバレッジ率

もちろん、みんな生活を全て外注しているわけでもないし、全て自分でやっているわけでもない。

「あるところは外注して、あるところは自分でやっている」という割合があるはずだ。

その、「どのぐらい生活レバレッジをかけているか」というのを「生活レバレッジ率」と呼ぶことにしてみる。

概念的に、以下のような図を描いてみた。

【生活レバレッジ0%という状態は、完全なる無人島に自分ひとりだけが存在し、家を作るのも、衣服を作るのも、獲物を刈るのも、野菜を作るのも、料理するのも、全て自分ひとりで行なっているという状態だ。

一方で、
【生活レバレッジ100%という状態は、生活のすべての作業を、お金を払って機械と使用人に外注していて、自分は何の作業もせずに勝手に生活が回っていくという状態だ。

ただ、そんな極端な人たちはほとんどいないので、それぞれの人が、中間のどこかに位置することになる。

低い場合と高い場合

0%・100%のような極値を除き、その中間の生活レバレッジの中で「低い人」と「高い人」では、どのような生活となっているか考えてみる。

生活レバレッジが低めな人(20%〜50%ぐらい) … 家電を使わずに自分の手で行なっている作業があったり、必要なモノを買わずに自分で作ってみたりしている。移動も電車やバスをなるだけ使わず、徒歩や自転車で行う。生活の作業に時間がかかるが、仕事をする時間も短い。無職・パートタイムなどの人で、“あえて”文明を使わない意識のある人たち。

 

生活レバレッジが高めな人(50%〜80%ぐらい) … 現代で必須とされているほとんどの家電(冷蔵庫・洗濯機・レンジ・掃除機など)を揃えている。場合によっては、ハイテク家電(乾燥機付き洗濯機・ロボット掃除機・自動調理鍋・食洗機など)を揃えていたり、料理は一切せずほぼ外食で済ませているような、さらに高いレバレッジ率の人もいる。移動も車を買ったり、電車やバス・タクシーを当たり前に使う。フルタイムで働いている人はもちろんだが、時間が余ってる人であっても、現代人のほとんどは当たり前のようにこの「高めな人」になっている。

上記のように、「時間のあるなし」に関わらず、「家電を揃えて使うのが当たり前」「1駅でも電車に乗って当たり前」の世界で生きているので、あえて意識しないと、レバレッジ率は高めになる。

あえて下げてみたら

そこで、あえて「レバレッジ率」を下げてみたらどうなるか。

自分は最近、うつ病で休職して、ずっと家に引きこもっていたので、時間だけが有り余っていた。

これからのお金の心配と、有り余る時間を”無駄に”消費するために、「電気や家電をなるだけ使わないチャレンジ」というのをやってみていた。

炊飯器は使わずにキャンプ用クッカーでご飯を炊き、外食やコンビニに行かずにほぼ全て自炊をして、電子レンジは使わずにフライパンで温め、冷蔵庫は使わずに毎日スーパーに行き、全自動洗濯機は使わずに手回し洗濯機で洗い、掃除機は使わずにほうきで掃いてみた。

すると、以下のような効果が感じられた。

・電気代がかなり減った。
・家電がなくても生活できることがわかり、手放せると思った。

・手放したら、一生その家電は買い替えなくてよいということになる。

・そうすると、その「電気代を払ったり家電を買うお金」のための労働はしなくていいんだと思った。

・動力が「自分のカロリー」だけというのが、なんか楽しかった。

・意外にも、作業自体に充足感があり、暇な生活が、なんだか適度に忙しくなって、満足感を感じた。

・作業している間は動画見たり音楽聴いたりしてるし、労働のように誰かにストレスを与えられるわけでもないので、その時間は”自分は”特に苦ではなかった。

・ただの生活の作業で色々と身体を動かすので、普通に健康にもいいと思った。

下げるべきか高いままがいいか

これは、正直「好みの問題」だ。

生活レバレッジを高くして、「沢山外注して作った時間で沢山働いて、よりリッチになる」のが好きな人はそれでイイと思う。

逆に生活レバレッジを低くして、「自分で作業することでなるだけお金を使わず、たくさんお金は稼げないけど、労働の時間を減らしてより自由になる」のが好きな人はそれでイイと思う。

最終的には、「普通に働きたい」か、「極力働きたくない」かという価値観になってくる気がする。

 

自分も、フルタイムでバキバキに残業していたときは、ほぼ家事はしてなくて(出来なくて)、可能な限りお金を払って外注していた。

あらゆる家電を駆使して家事の時間を減らしていたし、ほとんど外食かコンビニでご飯を食べていたし、短い休みの日を効率的に使うために1駅でもすぐに電車に乗っていた。

その時は、もう「それしか生きる方法がなかった」し、それで良かったと思う。

でも今は、前回のお金の奴隷のエントリーで書いたように、「生活レバレッジを低くして、なるだけ自分で作業することで、なるだけ働かずに自由に生きる」方が、なんだか幸せなような気がしている。

ただ、それも自分が独身で子供もいないから出来るのかもしれないし、老後のためのお金をたくさん貯蓄する道をある種放棄しだしたから、そう感じるのかもしれない。(今はもう”世捨て人”マインドなので、老後に働けなくなってお金もなくなったらそこで死ねばイイだけかと思っている)

 

次回に続く。

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