高尾駅南口すぐに、「みころも霊堂」という国の施設がある。
一見あやしい施設のようだが、れっきとした国の施設であり、「職種によらず様々な”仕事”をしているときに亡くなった一般の方達」を祀る、尊い施設だ。
5年に一度、皇室の方も参拝されるほど、国にとって重要な施設と考えられているようだ。(参考:日経新聞記事)
自分は、元から存在は知っていたが、高尾に移住を考え、現地を歩いているときに、実際に見学をさせていただいた。(本来は遺族の方などが参拝するところだが、一般の人も有料で見学できる)
非常に厳かで、神聖な場所であると感じた。
決して観光気分で行くような場所ではなく、祀られている方達に敬意を払っていくべきだが、ここの広場で毎年夏祭りが開かれて賑わったり、お散歩コースになっていたり、地域のみなさんが親しみを持っている場所でもあるようだ。
施設の最上階にあたる11Fに、上皇陛下も参拝された本尊があり、その周りに、3体のブロンズ像が安置されている。
このブロンズ像達と対峙した時、その精巧さ、存在感、神聖さに打ちひしがれた。
目の前にすると、本当に生きているかのような存在感であった。
魅入ってしまって、そこから数分動けなくなってしまった。
そして、像のタイトルになっている「日光」「天地」「月光」というキーワードが頭から離れなくなって、帰った後もしばらくそのことを考えていた。
なぜ、自分にその3つのキーワードが心に刺さったか。
それはおそらく、自分が“自然”を感じるときに無意識に意識していた、自然を象徴する最も大きなエネルギーの3つだったからのような気がする。
自分は自然が好きで、日々散歩したりしているのだが、この3つを意識して感じることで、「自分と自然との接点としていい感じに機能しそう」だなと思った。
また、自分は日本神話好きでもあるが、イザナギから生まれた最も尊い三貴神「天照大御神(アマテラス)」「須佐之男命(スサノオ)」「月読命(ツクヨミ)」を連想させるから、というのもあったかもしれない。
毎日、この3つを意識して外に行けば、「季節の移ろいや、日々の変化が感じられ、自然を毎日満喫できる」ような気がする。
そういうことを思ってから、ちょっと意識して散歩をしてみている。
まずは「日光」。
うつ病を発症してからは、セロトニン分泌に効果があるという「朝散歩」をしている。
この朝散歩で、まずは日光を全身に浴びてみる。
自分は、今はまだ吉祥寺に住んでいるので、毎日井の頭公園を散歩している。
本当に大好きな場所だ。
次に、朝散歩や、お昼過ぎの散歩などで、「天地」を意識して感じてみる。
意識するといっても、そんな大層なものじゃなく、ちょっと空を見上げてみて”天”を感じ、木々や植物をみて”地”を感じてみる。
あえて見上げないと、空って意外と見ていなかったんだなと思う。
最後に、「月光」。
月は、毎日出ている時間が変わるため、毎日見られるわけではない。
でも、見られる日は、夜ご飯食べて、お風呂も入った後、ぷらっとちょっとだけ外に出て、月の光を浴びてみる。
これまで、「いつ新月なのか、いつ満月なのか」も全く意識してなかったし、知ろうともしていなかった。
この習慣を始めてからは、いつも身に付けている登山時計の「月入・月没」機能を使って、なんとなく「今日は満月か〜」とか「今日は下弦の月か〜」とか見ている。
特に、これが何かの役に立つわけではないが、生活に自然を感じる”パイプ”があると、なんとなく楽しい気がする。
この3つをクリアした日は、「いや〜今日は自然感じたな〜」という満足感がある。
今、自分は無職だからこういうことができるだけかもしれない。
また働き始めたら、こんなふうに自然を毎日感じる余裕はないかもしれないけど、無職の今の間だけでも、なんとなく楽しいのでやっていこうかなと思う。