早いもので、いつの間にか休職してから4ヶ月が経過していた。
そこで、今の現状を記録しておく。
まず、体調としてはこんな感じ。
- 気分的な落ち込みは減ってきた
- 睡眠は薬がないときつい
- 身体は怠くて動けないときもあるが前よりは動く
- 上司、人事部、産業医と面談し、かなり疲弊してメンタルは落ちた
次に社会的なことについて。
- 復職せず退職するのはもう決めた
- あとはいつ退職するか
- 今年中が濃厚?
- その後は寛解するまで傷病手当で療養が濃厚
「死」について。
これまで、鬱になって将来の金銭的な不安が大きく、絶望感や恐怖を日々感じていた。
しかし、4ヶ月経過してあるとき、ふと母の家にいる猫を見ていて、
「猫って別に将来どうなるとか、どう人生設計しようとか考えず、ただ今日を生きてるよな。」
と思った。
ちょっと発想の入り口がバカみたいだが、その思考に立つと、動物ってみんなそうだよなという考えに至る。
「いつまで生きるとか考えず、今日を生きてる」
自分が感じていた絶望感や恐怖は、絶対に死にたくないという主観から出てくる本能に基づいている。
これはさらに、「生きているのが正常で、死ぬのが異常」という固定概念が根底にある。
でも、よくよく考えてみたら、この地球において、生物が生まれてきて、死んでいくのは普通なことなのだ。
ノラ猫はその辺で生まれて、その辺で生きて、その辺で死んでく。
それは異常なことか?
いや、別に普通なことだ。
どんな動物だって、その辺で生まれてきて、その辺で生きて、その辺で死んでいく。
人間だけが死ぬのが異常か?
そんなわけはない。
そうしたら、自分だって「その辺で生まれてきて、その辺で生きて、その辺で死んでいく」のが当たり前なのだ。
「いつ死んでもおかしくない。それも普通」
この考えに立つと、なんだか心の迷いというものがなくなってきた。
仏教的には2500年前から示されていた道だったが、なかなか文献を読むだけでは腹落ちしていなかったことに、ひょんなことから納得した。
まとめると、以下の思想が今のところ自分の中で優位に立っている。
動物のように、生まれてくることも、生きることも、死んでいくことも自然なこと。
やれるだけのことをやって、それでもダメならそのとき死ねばいい。
別に山でも行ってただ死ねばいいこと。
だから、なんとかかんとか生きられるところまでは挑戦して生きてみよう。
死を覚悟することで、逆に前向きに生きられる気がしてきた。
ブッダが言っていた通りであった。
今まで支配されていた、
「こういう学校を出て、これぐらいの収入を得て、何歳までに結婚して、どこに家を買って、こういう老後を過ごす」
という、唯一の正解と思っていた価値観。
うつ病になり、それがもう叶えられない絶望感を感じていた。
それは、そういうイイ人生への執着だった。
でも今は、
「自分の心の赴くままに挑戦してみて、生きられるところまで生きてみよう」
という、脱力的な感じになった。
実は、ちょっと気持ちが安定してきて、これからやりたいことが朧げに見えてきた。
まだはっきりと書けないが、とある職種でフリーランス・個人事業主になりたいと思っている。
ただ、それもやはり鬱病が寛解していなければ話しにならないので、まずは寛解まで療養する。
そして、体調と相談しながら、動ける時はそのために勉強をしていこうかなと思っている。
しかし、その仕事はとてもリスキーで、成功できない確率が結構高いものだ。
自分は、今までそういう生き方を避けてきた。
というか、したいけど怖くてできなかった。
自分の本当にやりたいことに蓋をして、興味がないけど収入がよくて安定した仕事をしてきた。
そして鬱になった。
だったら、1回死んで生まれ変わったつもりで、本当にやりたい仕事を目指してみようという気持ちになった。
それも、別に失敗して死んでもいいかと吹っ切れたからだと思う。
本当に失敗するかもしれないので、冗談じゃなく数年後ご飯を食べるお金がなくなったときに死んでいるかもしれないが、やりたいことに向かってそうなったんなら別にいいかなと思ってる。
これは、結婚もしてないし子供もいないから出来ることかもしれない。
誰かを守るために、やりたくない仕事をなんとかやっているのも、本当に本当に尊くて、素晴らしいことだと思う。
でも自分は、父親も大学のときに他界してるし、実家はもう取り壊してないし、遺産も全くないし、家系ももう自分たち兄弟しかいないし、独身だし、子供もいない。
なんの家系的な援助もないが、逆に絶対に生きなきゃいけないしがらみ・理由も自分にはなんにもない。
天涯孤独丸である。
死んだら母親にだけは申し訳ないけど、まあそれもしゃあないかなと。(母も父の他界を機に、父の地元の北海道を出て東京で一人暮らしをしている)
ということで、「涅槃猫スタイル」とでも名付けてやっていこうかなと思います。笑
こんにちは。
全く私と同じ境遇でしたのでコメントさせて頂きました。
ネットを見ていると会社員以外で色々な生き方で充実した人生を送っている人を沢山知る事が出来ます。
これからは結婚して子供を持つという時代でも無いですし、
ミドサーで独身だと身軽で何だってチャレンジ出来ますしね。
今後の日本の将来性や40以降で独身だと長生きしてても・・・。
それなら自分のやりたい事で人生を悔い無く全うしたいって思いもあります。
まだ20代でしたらフリーランス、個人事業主、自営業は眼中に入らないと思いますので良い分岐点なのかなとも自分では思ってます。
はじめさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。返信遅くなりまして申し訳ございません。
おっしゃる通り、独身だからこそ、何でもチャレンジできるし、失敗もできると思います。 独身は孤独ですが、その分守るものがないので、自分の好きなようにできますね。
世間が変わってきたというのもおっしゃる通りだと思います。
本当であれば、世間の常識がどうであれ、自分のやりたい方向を貫ければいいのですが、 人間、やはりそこまで信念が強い豪傑ばかりではありませんから、結婚しないのが普通になってきたのは自分も「ありがたい」と思います。
はじめさんのコメントを拝見して、20代だから、30代だから、40代だからという、やはり”世間の定番”を気にされているように感じました。(悪い意味ではないです)
自分も、それを気にして、ずっと苦しんできていて、今も苦しんでいます。
でも、荒野で洞窟で暮らしていたころの人間は、何歳だからどんな人生歩まないといけないとかは考えず、とりあえず今日を生きていたはずです。
そう思って、「別に何歳だろうが野山を駆け回って生きて、生きれなくなったら死ねばいんじゃね」という気持ちに最近なってます。(この記事に書いたままですね)
何歳だろうが、心の赴くことをやってみて、「人生を悔い無く全うしたい」という、はじめさんのお考え、「命が生きている」感じがして、素敵だと思います。
それでも、お金がないと苦しいし、死ぬ時はひとりだと寂しいかもしれませんが、なんとか一緒に生きていきましょう。