先週まで、「正直これは結構なところまで治ったんじゃないか」というぐらい、気分がよくなっていた。
絶望感・ネガティブ感情・希死念慮がかなり消えていた。
病気が治った後にやりたいことが見えてきて、ポジティブな想像すらできていた。
だが、先週の土曜に、母の家に猫セラピーしに泊まりに行ったときに、またしても薬を忘れてしまった。
なので、SSRIを飲まず、睡眠薬もたまたまあった市販のドリエルを飲んで寝た。
しかし、ドリエルがほとんど効かず、深夜3時ぐらいまで寝られず、そのあとも寝たり起きたりで、合計で2時間ぐらい浅い睡眠が取れただけだった。
そこから、日曜〜火曜まで、かなり気分が落ちてしまった。
具体的には、「未来へのネガティブ感情・仕事への不安・仕事に就けないかもしれない不安・今後は貧困を生きる不安・希死念慮」が、湧水が溢れ出すように、脳内に次から次に湧いて出てくる。
うつ病になってから、しなやかな思考や、白黒思考じゃない考え方などを学んでいたが、なんというか「考え方」でどうしようもできない状態となっていた。
自分の意志などと関係なく、泉のようにネガティブ思考が溢れ出てくる。
「これがうつ病か」
と、改めて思った。
考え方うんぬんのソフト面ではなく、脳の物理的な組織そのもののハード面が壊れている。
うつ病は、ハードの故障 なのだ。
ソフトの故障と勘違いされがちだが、違う。
骨が折れたとか、胃潰瘍になったとか、食道がんになったとか、そういうのと同じように、物理的な身体そのものの、ハードの故障なんだ。
そういう意味で、うつ病は「脳疾患」なんだ。
ここが、世間の人が勘違いしているところだ。
そういう自分も、「うつ病はソフト(気分)の故障じゃないの?」と思っていたぐらいだ。
だから、世間で軽視される。
サボってるんじゃないかと言われる。
なってみると、そうじゃなかったことに気付く。
自分の上司たちも、なんとなくソフトのことかと思って喋ってきている節がある。
もはや、厚生労働省の5大疾患に「精神疾患」が数えられているほどなので、管理職になる人は精神疾患について正しく学ぶ義務があると思う。
物理的な脳(扁桃核)が壊れて、不安や恐怖、後悔、希死念慮が襲ってきているときは、「考え方を変えよう!」ではどうにもならない。
嵐が過ぎ去るまで、じっと待つしかない。
好きなもの食べまくって、薬ちゃんと飲んで、寝てしまうしかない。(ただしお酒はダメ)
自分は、3日間ほど憂鬱な泥沼を生きて、今日なんとか気分が少し晴れてきて、これを書いている。
ソフト(考え方)がおかしい時、ハード(身体)がおかしい時、いずれでも使える精神運用方法はあると今回感じた。
それは、「insideの自分」と「outsideの自分」を分けることだ。
↑自分で書いた
そして、「outsideの自分が、insideの自分と、身体と、計画と、行動を制御する」ことだ。
oudsideの自分というのは、表面意識・物事を考えている自分・前頭葉。
insideの自分というのは、潜在意識・インナーチャイルド・扁桃核。
普段意識していないと、この2つがごっちゃになって、「自分」を形成している。
そこを、無理やり分離して、outsideの自分に立つ。
そうすると、「outsideの自分が、insideの自分や身体を眺める」というポジションをとることができる。
なので、上述した落ちているときは、
「あー、寝れなかったのと薬飲み忘れたので、物理的に壊れた脳が、次から次にネガティブ思考と希死念慮を生産してきてるわー」
と、メタ思考的なポジションから見ることができる。
そうするだけで、「底なし沼に引きづり込まれず、沼に脚だけ浸かった状態」で踏みとどまることができた。
だが、それだけで「気分爽快!」とはならない。
結局は最悪の気分なのは変わらないのだけど、地獄の入り口の門で止まることはできるのだ。
今までは、自分がぐにゃぐにゃになって、地獄の底まで一直線だった。
この分離法は、「いいとき」も「わるいとき」も使える精神運用方法かもしれない。
ここで注意なのが、outsideとinsideは、2人で1人、手を繋いでいて、どちらかだけで生きることはできないということだ。
outsideの自分は、「論理的思考ができるが、感情や喜怒哀楽を持っていない」。「頭はいいが冷たいマシーンな自分」。
insideの自分は、「感情や喜怒哀楽を持っているが、論理的思考はできない」。「ほぼ動物の本能的な自分」。
だから、outsideだけになると、何も幸せを感じられず、生きるゴールを見つけられず、論理的思考を持て余すだけの存在になる。
insideだけになると、欲望を貪り、幼児のように痛い苦しいと泣き喚き、わがままを言うだけの動物的存在になる。
そのため、「outsideの自分が、insideの自分と計画と行動をコントロールし、insideの自分が喜び幸せを感じるように取り計らう」という構図が必要なんだと思う。
まだ実験中なので、引き続き実験を続けていく。