昨日から母の家に泊まっており、今日も猫と一緒にダラダラしていた。
会社に休職延長の診断書を出さないといけないので、封筒を買いに100円ショップへ。
その帰りに、1時間ぐらい散歩して、公園などを回った。
歩きながら、ホ・オポノポノしていたんだけど、結構不安が和らいだ。
ただ、忘れてやめていると、将来のことに頭がいってしまって、またブラックホールに飲み込まれるような不安がやってきた。
でも、前の自分とは違う。
その不安も、マインドフルネスで「ああ、不安きとるな〜」と思えるように、ちょっとはなった。
感情は自分に直撃するのではなく、お手玉のように取り扱う。
まだ不安に飲み込まれて、扁桃体がキーーンとなることはあるんだけど、精神が晴れやかな時間が増えた。
明らかに、休職したてのころとは変わってきている。
少し、昔の自分に戻ったような感じがする時間がある。
宇宙から放り出されるような感覚がなく、ちゃんとこの現実世界にいる実感のある時間が増えている。
セルトラリンも増えたし、多分セロトニンが増えてきていて、扁桃体の興奮が静まってきているのだと思われる。
朝散歩もしている。
仕事のことをあまり考えない時間が増えたこともあるのかも。
でも、いつかは向き合わないといけないからね。
その問題がある限り、寛解なんてできるのだろうか。。
たぶん、メンタル疾患の方々は、身体的に脳がよくなってきていても、現実的な問題が解決せずにずっとのしかかっているので、完全に治らないんだろうな。
とてもわかる。
今の自分がそう。
現実の問題(仕事)が解決しないと、結局はメンタルダウンしてしまう。
「なんで新卒の時にあんな会社を目指さなかったんだろう」
「なんで○年目のときに思い切って転職しなかったんだろう」
とか、「完璧な人生」にできなかった後悔に苛まれていた。
でも、その考えは違うなという思いに、今日なった。
「自分の気持ち」も「社会情勢」も「人間関係」も「環境」も、すべては変化していくもの。
現実世界のすべてのものは「無常」であり、同じであり続けるものは何一つなく、常に変わっていく。
だから、大事なのは「一度も失敗せず完璧な人生を歩む」ことではなく、「その時その時で、失敗しても何度でも立て直してやってく力(対応力)」だと思う。
この「対応力」は、魂の力として永遠に持つことができる力。
たとえ次にどんなところに産まれても、その時の状況に応じてなんとかやってく力。
今生でも、どんな変化があっても、なんとかやっていく力。
思えば、現実だって本当に何があるか分からない。
コロナで会社がなくなるかもしれないし、津波で街がなくなるかもしれないし、世界経済危機がくるかもしれないし、円の価値がなくなるかもしれないし、日本が戦時下になるかもしれない。
もっと個人的なところでも、突然病気になるかもしれないし、障害をもつかもしれないし、事故に遭うかもしれないし、事故を起こしてしまうかもしれないし、事件に巻き込まれるかもしれないし、家が火事になるかもしれないし、職を失うかもしれないし、家族が亡くなるかもしれないし、離婚するかもしれないし、子供が犯罪を犯すかもしれない。
すべてのことは保証されていない。
それは普通のことで、誰にでも起こりうること。
絶対に安心で、完璧な人生なんてのはありえないのだ。
「変化はない」と錯覚しているから、必ず起きる変化に苦しみが生まれる。
「変化はある」と思っていて、「変化しても対応していこう」と思っていれば、必ず起きる変化にも対応していける。
対応力。
その場その場でなんとかやっていく。
これは自分の心の経典に記しておこう。