・出雲族は遥か昔に東を目指した「クナ国」に住んでた「クナトノ族」がルーツ。
・出雲族は鼻の長い動物の住む国(インド)から民族移動して日本にやってきた。
・今から4000年以上前。
・神社の彫刻に、日本にいない像が入っているのもこれに関係していると考えられる。
・弁財天もインドのサラスヴァティ。
・大国主と同一視される大黒天もインドのシヴァ神。
・出雲族は母系家族製で、女性を跡取りにした。
・古代エジプトでも同様。
・インドにいたドラヴィダ族では象のことを「サルタ」と呼ぶ。
・象のガネーシャ神が、猿田彦に変化した。
・猿田彦は別名「鼻高彦」といわれている。
・クナ国は争いが多かった。
・シベリアのバイカル湖からきたブリアート人から噂を聞く。
・争いが少ないという東の国があると教えられる。
・それで日本を目指すことになった。
・ブリアート人は、25,000年前にシベリアを経由して北海道に入った民族。
・日本で見つかっている縄文人の遺体29体のうち17体がブリアート人。
・バイカル湖からも北海道の黒曜石が見つかっている。
・つまりバイカル湖のブリアート人と北海道にきたブリアート人は交流していた。
・クナ族は樺太から北海道を通って津軽半島に入った。
・出雲族の最初は東北地方が拠点だった。
・クナ族はもともといた縄文人と交わっていった。
・出雲の地を拠点とする者たちが出てくる。
・砂鉄がよく取れる斐伊川(ひいかわ)周辺。
・サンスクリット語で「猛火」を「タータラ」といい製鉄の「たたら」になった説。
・紀元前660年に出雲王国が誕生する。(記紀ではこの年は神武天皇の大和王朝)
・出雲王国の宗教はインドからもってきたものがベースになる。
・父神「クナトノ大神」、母神「幸姫(サイヒメ)」、息子神に「猿田彦」。
・この三柱で「幸の神(サイノカミ)」
・クナ族は「ワニ」を川の神、「コブラ」を山の神とした。
・それらが合体して「龍神」としていた。
・しかし、日本にはいなかった。
・ワニはサメ、コブラはセグロウミヘビとすることにした。
・そのため、今でも出雲地域ではサメのことをワニと呼ぶ。
・出雲族の亀甲紋は、セグロウミヘビの鱗の亀甲模様からきている。
・亀からじゃない。
・古代出雲王家は、争いを好まなかったので、各地の豪族を言葉で説得して回っていた。
・それで、「言向けた(ことむけた)」ということで、「ムケ王家」と呼ばれた。
・それが転じて「向家(むかいけ)」と称されるようになった。
・出雲王は「大名持(おおなもち)」と呼ばれるようになった。
・記紀だとオオナムチ。
・初代出雲王は、たくさん話しを聞いて回った「八耳(やつみみ)」が即位。
・八耳の妃は「稲田姫」で、2人の王子が生まれる。
・それに合わせて、出雲国を2つに分割。
・東王家を「富家(とみけ)」、西王家を「神門臣家(かんどのおみけ)」。
・2つの王家から交代で主王(しゅおう)という国のトップを選出した。
・主王が「大名持」、副王が「少名彦」と呼ばれるようになった。
・記紀だと少彦名と漢字の順番が違う。
・少名彦は出雲兵を統治する軍事の王となった。
・出雲兵が忍者の源流になった。
・第六代 大名持「オミヅヌ」の時代。
・各地の豪族に出雲王家の娘を嫁がせることで勢力拡大。
・このとき強大な「越国(こしのくに)」も制圧。
・オミヅヌの息子が「宗像家」を起こして、宗像大社の社家になった。
・建国400年後(紀元前3世紀末)の、主王が「大国主」の時代。
・秦から「徐福」の一団が襲来してくる。
・徐福はスサノオである。
・徐福の一団は主王の大国主と、副王の事代主を殺害。
・大混乱の出雲族の半数は「大和」に移住。
・このため日本の中心が奈良に移っていった。
・徐福(スサノオ)の子孫と出雲王家の人々が交わっていった。
・TOLAND VLOG ほぼここで勉強してます。