【休職#16】休職25日目。鬱病も自分のカルマ。

今日は母の家で起きて、8時ごろに朝散歩に行った。

前日、出されている睡眠薬を3種類きっちり飲んだおかげで、めちゃくちゃ眠れた。

やはり、お医者さんのいう通りにすること大切。

8時ぐらいに朝散歩すると、通勤する人たちがいっぱいいて、つらい気持ちになった。

みんな頑張って働きにいくのに、自分は何してんだろうって。

でも、そういう気持ちになる必要がないということは、頭では分かっている。

人それぞれ違うフェーズを生きている。

自分だって10年間ほとんど病欠せず働いてきた。

その時に、朝散歩していた人だっていただろう。

仮に働いていた頃の自分が出勤する時に、働きすぎて鬱になって休職して朝散歩している人を見かけたとしても、ずるいとか思わない。

頑張りすぎちゃったんだね。。治るといいね。。と思うと思う。

だから、自分は自分のフェーズ

人は人それぞれのフェーズを生きてる。

自分は自分の生きるペース。

人は人それぞれの生きるペースで生きてる。

自分には自分の変化のタイミング。

人は人それぞれ変化のタイミングが訪れて、右往左往しながら生きてる。

そう、みんな右往左往しながら生きているのだ。

美しいエスカレーターを、生まれてからしぬまで100年安定して乗っていく人なんかいない。

それぞれに、それぞれのタイミングで色んなことが起きて、右往左往しながら生きるのだ。

人生ってそんなもん。

みんなそんなもん。

自分もそんなもん。

そう考えると、少し気持ちが楽にならない?

右往左往しながら、なんとか生きていこう。

なんで自分は鬱になってしまったんだろう。

なんで自分は鬱になるような、あまり好きではない仕事を選んでしまったんだろう。

という思いが湧き上がる。

でも、全ては自分の蒔いた種なのだ。

未熟だった自分が、未熟な価値観で、自分に合わない未熟な選択をしてしまったからこうなった。

今生のこのタイミングで、どうやって生きる方向を選ぶべきか、という軸を学ぶタイミングだったのだ。

今まで何回の人生を生きてきたのかはわからないけど、自分の魂は、今生で初めて気づくタイミングだったんだ。

今思うのは、自分の進む道は、自分のインスピレーションで決めるべきなんじゃないかということ。

「なんとなくよさそう」「なんとなくいやだな」

この感覚が、多分自分にとっては正しい。

新卒の就活の時は、インスピレーションでなんとなく行きたいな〜という会社はあったのに、給料が低いとか、みなし残業があるとか、頭で論理で損得を考えて、今の高待遇の会社にした。

入る前から、スーツを着て無機質なオフィスで働くようなことは、向いてないだろうことは、無意識では感じていた。

でも、高待遇だし、高給だしで、論理で考えて選んだ。

その結果が、鬱病で退職(予定)だ。

その頃、自分が自分のインスピレーションを確認するというプロセスをしていたなら、「なんとなくいやだな・・」と絶対思っていたので、いくら給料よくても選ばなかっただろう。

でも、自分が未熟だったから仕方ないね。

自業自得。

自分の蒔いた原因によってのみ、自分の結果になる。

未熟な自分の選択も、鬱になって苦しむということも、これからの仕事や生活が大変かもしれないのも、今生なのか、前世なのか、前々世なのか、もっとはるか前なのか、何かを自分がやらかした業による、結果なんだ。

なんで自分だけ・・とかは存在しない。

自分に起こることは、全て自分が原因を作っているのだ。

だから、粛々とこの体験を受け入れて、過ごして、抜けていく。

全ては自分が原因を作った後始末と考えると、なんだか悪いこともスッと受け入れられる。

その業を解消しようと思える。

1つ悪果を体験して、1つ過去の悪因を解消することができれば、自分に溜まった悪い業は1つなくなる。

謙虚に体験すれば、自分が前に進む。

もうその悪因から悪果を受けることがなくなるだけ、その後はより良い人生となるのだ。

少し身軽な自分になる。

その途中で、また新しい悪因を作らなければだけどね。

ちゃんと正しい生きる方針を決めて、悪因を作らぬよう。

善因を積むよう。

やっていかないとね。

今日幸せを感じたこと

これを書くのをここ数日忘れていた。ちゃんと書こう。

・母のピザトースト、豚ステーキが美味しかった。

・モノの断捨離を進めて、なんだか気持ちがスッキリした

・炎天下の中自転車で走って汗だくになったが、なんだか爽快だった

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